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戦場が日常で日常が戦場で?イスラム国の「宣伝」は、わたしたちまで戦場へ引きずり込む [ニュース]

LINEスタンプを描いて3ヶ月で1000万円稼いだという人が話題になった。ぱっと見て思ったのは、「いい宣伝になるだろうな」ということ。

大当たりすればこれほど稼げるというのであれば、そりゃ試してもみたくなる。絵心のない私でも、もしかすれば、と思わないでもない。

私の思った「宣伝」の効果はここにある。この一報はLINEスタンプを”買う”人間でなく、”作りだす”人間を呼び込むための宣伝として機能するというわけだ。
コンテンツを消費する人だけでなく、コンテンツ制作に積極的に参画する人間が増えていけば、スタンプ提供者の利益になるだけでなく長期的には母体となる企業の利益にもなる。

この関係は双方の利益になるWIN-WINの関係だ。スタンプを描く側はお金が手に入るから積極的に参加するし、LINE側はコンテンツ制作の人員がどんどん増えていくことになって将来の利益につながる。だからスタンプ制作で稼いでる人がいるならLINE側としては積極的に宣伝していって、自分も恩恵にあずかりたい、という人を呼び込もうとするのは道理といえる。

このように、積極的参加(コミットメント)に重点を置いた宣伝を積極的に活用している集団は他にもいる。
その最たるものはイスラム国だろう。









イスラム国相手の戦争は武力の戦いである以上に、宣伝の戦いだといえる。イスラム国のプロパガンダは動画サイトやソーシャルメディアを活用した多角的なもので、プロの映像制作者の構成員が制作する動画は並の放送局顔負けだという。

そのような集団が日々各メディアでプロパガンダを行う。今やイスラム国には80カ国から志願兵が集まってるとか。

イスラム国の発するメッセージはごくシンプルで、詰まるところ「イラク、シリアに行って武器を取り、聖戦を戦おう」というもの。メッセージそのものはシンプルだが、各ソーシャルメディアを活用し、洗練された形でこれを発信し続けることで、イスラム国は世界各地から人を集めている。

ある者はイスラム過激派思想に基づき、この聖戦に参戦することこそが神の御心と信じて。またある者は、イラクやシリアに空爆を続ける米国への反発から。自身の暴力性を満足させるためだけに参戦する人もいるかもしれない。

こういった人たちに向け、イスラム国はメッセージを発する。「うちに来て銃を取れば、あなたたちの信念なり欲求は満たされる」と。大いなる聖戦に身を投じ、銃火でもって米国にNOを言い、思うさま暴力を楽しめる、その代わりにイスラム国のために戦ってほしいと、つまりこのような。

誰しもをイスラム過激派の思想に塗り替える必要はない。ただ上記のようなメンタリティを持った人々の目に自分たちのメッセージを触れさせ、ここに来てわたしたちの活動に参加することはあなたの思想・信念にかなったことですよ、ということを伝えられればいい。

そしてまた、そういった人たち全員を引き込む必要はない。国籍も人種も関係なく参加できるとなれば世界中から人が集まってくるのだから、例えば各国から数百人だけ来たとしてもそれなりの数にはなる。

例えばイギリス国籍のイスラム国戦闘員の数は8月末の時点で500人前後に上ったという。シリア空爆に賛同するイギリスからそれほどの数の人間が来ているのだ。

簡単に考えて80カ国からそれだけの人数が来たとしても4万人になる。
結構な数だ。
メッセージの発信さえ続けていればその数だって増えていくだろう。

ネットワークにさえアクセスできればイスラム国のアジテーションは世界のどこにいても閲覧できる。
カナダの議事堂襲撃事件はまだ記憶に新しいところだが、あの事件で示されたのは、イスラム国の思想に共鳴さえしたならば、イラクやシリアから遠く離れた場所でもテロ行為に及ぶ者が現れうること、ひいては、銃声が響くのは世界中どこであってもおかしくないということである。

今まで当たり前のように過ごしていた日常が、戦争と背中合わせの状態になるのだ。

世界中くまなく届くソーシャルメディアを活用し、戦場と日常の境界を一段と曖昧なものにしたイスラム国の宣伝術は、戦争と平和という概念の一つのターニングポイントになるのではないだろうか。

すごいどうでもいいけど、ついこの間huluで『機動警察パトレイバー』の劇場版の配信が始まったので一通り見てみたら、第二作目でまさに上記のようなことを言っていた。東京の平和な日常なんてものはまやかしで、ただ最前線から遠く離れているだけだ、と、たしかこんなこと。

当時ならピンと来なかっただろうけど、今ならちょっと分かる気がする。日常と戦場がシームレスに展開し、果たして戦争が日常の中にあるのか、はたまた日常が絶え間ない大小の戦争のただ中にあるのか。

同映画中では戦争状態に突入した東京で、町中に配備された兵器群のすぐ隣で平然と日常生活を営む市民というなんだか歪な光景が描かれていたけれど、今になって見返すと現在のわれわれを包む現実の戯画化のように思えてならない。

現在から二十年近くさかのぼった昔、まだテロとの戦いなど叫ばれていなかったような頃にこれを鋭敏に感じ取っていた押井守って凄いんだなあと思いました。
posted by nino-sanjo at nice!(0)  コメント(0) 
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