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テレヒ゛ケ゛ーム ノ ハツメイシャ ナクナル ~任天堂とゲームを引き合わせた発明家、ラルフ・ベアとその業績~ [ニュース]

TVゲーム業界の重要人物といえば、任天堂の現社長・岩田聡氏や同じく任天堂の故・横井軍平氏、『ロックマンX』等多くのカプコンゲームシリーズでディレクターを務めた稲船敬二氏など、日本からだけでも何人も名が挙がる。

さりとて、TVゲームの父と呼べるのは誰であろう。
任天堂でもコナミでも、データイーストでもない。そもそもファミコンはAtari2600からみれば後発だ。

そのAtari以前にTVゲームを開発し、「TVゲーム界のエジソン」とまで称される人物がいる。
彼はラルフ・ベアというアメリカ人。先日惜しくも逝去されたが、生前アメリカ国家技術賞まで受賞した彼の業績は偉大なものだった。









ベア氏は元々ドイツ生まれだったが、ユダヤ人だったということで第二次世界大戦中ナチスの迫害に遭いアメリカに移り住んだ。故国を離れた彼は働きながら独学で勉強し、ラジオ修理工を経て医療器機の設計・製作などに携わるようになる。

そして1972年、彼の開発した世界最初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」がアメリカで発売された。

誤解のないよう説明すると、コンピューターゲームそのものはこの以前から存在した。
現に1962年には『スペースウォー!』というシューティングゲームが開発されている。しかしこの当時のコンピューターゲームはちょうどアーケードゲームのように専用の筐体が必要になるか、またはコンピュータ(この頃のコンピュータはもっぱら業務用で、今のPCとは比べものにならないほど巨大で高価なものだった)上で動作させるものしかなかった。

そのため普通のTVに繋ぐだけでゲームが遊べる家庭用ゲーム機は革新的な商品で、後継機のオデッセイ100とオデッセイ200が発売される1975年までに33万台以上を売り上げたという。

TVゲーム業界の曙を輝かしく飾ったオデッセイは、後の業界に与えた影響も大きかった。
ファミコン以前の大ヒットゲーム機「Atari2600」を発売したアタリ社はオデッセイに触発されてのこととされている。
またAtari2600のベストセラーゲーム『ポン』(プレイヤーが画面左右のバーを操作し、画面上を動くボールを跳ね返して相手のゴールに入れるゲーム)は元々オデッセイに収録されていたピンポンゲームを真似た物であるとして訴訟沙汰にまでなり、世界初のゲーム関連の訴訟として記録される。
最終的に両者は和解し、アタリはオデッセイの発売元であるマグナボックス社に巨額のライセンス料を支払うこととなった。
この『ポン』は多数のコピー製品が製作され、セガやタイトーも1973年にこれのコピーゲームを発売している。

またオデッセイ用の周辺器機として、TV画面に表示される的を狙って遊ぶための光線銃も発売された。
やはり世界初のTVゲーム機用周辺器機で、こちらもヒットを飛ばす。

この光線銃は当時まだゲーム業界に関わりのなかった任天堂に発注された。当時の社員は実際にオデッセイで光線銃を使って遊ぶデモンストレーションを見る機会があり、言うなればこれは任天堂とTVゲームのファーストコンタクトであった。
それから10年以上経って、任天堂はファミコン用の光線銃型コントローラーと『ダックハント』や『ワイルドガンマン』等の光線銃対応ゲームを発売。
その背景にこのオデッセイの影響がないとはだれにも言い切れない。

今日のTVゲームの礎を築いたラルフ・ベア氏は2014年12月6日に92歳で逝去。
数々の賞を受賞し、アメリカの「発明家の殿堂」入りも果たした彼の名と業績は、今後も長く語り継がれていくことだろう。
posted by nino-sanjo at nice!(0)  コメント(0) 
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