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若原弘之、蝶採集にラオスで30年。養老孟司も感心。世界各地をめぐり、見つけた生き方 [趣味]

ラオスの蝶
raos.JPG

蝶の標本で中学校を卒業


若原弘之と言う日本人がラオスにいる。

蝶の研究家であり、高校生にしてプロの採集家となった生粋の採集家だ。

幼いころから蝶の採集を続け、中学生になってから日本中で蝶の採集を行っていたと言う。
学校にもろくに行かず、出席日数や成績が足りず、本来卒業は出来ない筈だったのにもかかわらず、
当時の担任は彼に「貴重な蝶の標本」を作る事で卒業を許可したのだという。

これが教育としてアリなのかナシなのかはさておき、当時の教師の英断を私は支持したい。

そして、高校に進学することもなかった若原氏。
親に頼りながらの採集生活にも限界はあるものの、彼の才能を知った蝶の採集業者が彼に目をつけ、彼に出資することが決まった。

そして、ロクに外国語も学ばないまま、彼はその資金で海外に飛び出した。


それ以来、しばらくの間は海外で昆虫採集を行い、採集した蝶を日本へ送ってその代金を採集資金としながら生計を立てていたそうだ。

一時は日本で蝶採集のコンサルトとして生計を立てようとしたものの、自分自身の生活に合っていないと断念。

再び海外へ渡ることになる。

そして、そこで転機が訪れた。


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中国での障害とラオスへの移住


中国で貴重な蝶を採集し日本へ送った際に、中国当局に目を付けられてしまう。

当局としては、中国の自然環境保護が目的であったが、
蝶を愛する若原氏には、当然そのような意図は無かった。

そして、最も問題視されていたのは、中国の蝶を日本に送ってお金を得ると言う事。

中国では「蝶の商人」と見られていたのだ。


これを機に、若原さんは自身の生き方を見直す事となる。

本来、若原さんは標本などは行わなずに蝶を捕まえてきた。

求められ、必要に応じて採集・標本にしてきただけであり、売ることが目的だったわけではない。

しかし、今はお金の為に蝶を集め、そのお金で新たに蝶を採集すると言う生活をしている。

そんな生活に疑問を抱き、彼はラオスへの移住を決意。

以来、現地で妻を娶り、ラオスでの生活を始めることになる。

それから30年が経った今も、ラオスで生活を続けているようだ。




自分自身の望む生き方を


ラオスは世界でも非常に珍しい蝶が摂れる絶好の採集スポットだという。
世界から多くの密輸業者などが入り込み、採集の禁じられている貴重な蝶を売買していると言う。

しかし、若原さんは蝶を捕まえても標本にしたり、撃ったりすることは殆ど無いらしい。

どんなに珍しい蝶を捕まえても、しばらく観察し、すぐに自然に返してしまう。

蝶を捕まえ、蝶を愛で、蝶と共に暮らす。

それが若原さんが望んだ生き方だった。

例え、豊かな暮らしができずとも、自分の好きな事が出来れば幸せな人生と言える。

有名な生物学者である養老孟司さんも、著作などで度々話題にしているほどで、本人もラオスに蝶の採集を行ったらしい。

そして、様々なコラムで若原さんとその生き方を紹介している。

若原さんの生き方は、きっと常人には真似できない生き方だ。

しかし、本当は誰でも彼の様な生き方が出来たのではないかとも思う。

好きなことに夢中になり、好きなことにのめり込み、もっと好きなことが出来る様に考える。

そうしていつの間にか、本当に好きなことやりながら生きていける方法を見つけられるようになる。



多くの人はそんな生活は出来ないと考える。

多くの人はそこまでのめり込めることが見つからないと諦める。

本当にそうなのだろうか?

どこかで自分自身にブレーキをかけてしまっているだけなのかもしれない。



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